27日、わたしは絶対に労働を休みにしたと思っていた
そうしたら職場の店長から鬼電かかってきた。
休みじゃなかった。ううううう
KOENJI ECHOLOCATIONにてギターのストラップピンが折れて諸々限界になったギターを修理に出しに行っているところだった。
そこの工房の人と仲良くなってナゴムの話に花を咲かせていたところ、まさかの出勤。
爆速で走った
そう、昨日はKOENJI ECHOLOCATIONという企画が終わったのだった・・・
誰も来なかったらどうしようとかいろいろ不安もあったが、本当にたくさんの人に支えられて企画を終えることができてよかった。感謝です。
元々こう、なんか自由系のことをしたかった。
ライブハウスにいるとわりと堅苦しいなと思うことが多い
ここにいたほうがいいかなとか、
みんな楽しそうなんだけど今自分って、どう過ごしていたらいいかわかんないなーとか、
特に出演者側のひとはそれが多いんじゃないかなー
私はお客さんとしてライブを観に行ってもそうなっちゃうことが多々ある。
これって自分が無意識のうちに思い込んでいる事なのかもしれないけれど。
そもそもライブハウス自体かなり自由なところではあるかと思うけど、
変な一体感みたいなものがある時がある、気がする。
すごく良さではあるんだけど、その辺のことを取っ払って自由な感じにやりたかった。
一回外に出て外の空気を吸ったり休憩したり、
ライブ観たくなったらみながらゆらゆらしたり、
知らないアーティストだけど休みつつのんびり観てみようかなだとか・・・それが意外とハマっちゃったり・・・
音楽や表現が身近にあるものなように、もっと身近で自由に選択できる場というか、それがしたかった
ECHOLOCATIONという言葉は、個人的にいるかが好きなので、いるかが頭の中のメロンという器官を使って超音波的なもので物の距離やなにかと受け取ったり送ったりみたいな行為のエコーロケーションから取った。
エコーロケーションを相手とのコミュニケーションに用いたりしているらしくて、
ライブだったりなにか表現を通じてならばみんなと話せるのではないかなと思ってこの名前にした。
このイベントの前にやっていたMELON SALON NIGHTというイベントもかなり近い主旨で名前をつけた。
海の中でエコーロケーションをしていることがすごくなにか表現での受け取りや送り合いみたいなことに近くてこの言葉がすごくすきだ
いるかは集団で行動してエコーロケーションをしたりしてコミュニケーションをしている
自分がそれをうまくできないから、うらやましさとか、もどかしいきもちがあるんじゃないかなあと
それとも表現ならばそういうコミュニケーションができるのではという可能性や期待を込めてこの名前をつけたのかなとか、
昨日はバンドやそれを見ているひとたちを見ながら思った。
ただ夏がすきで表現をみて感じたりすることであそびたかっただけで、ただ自由でわくわくたのしくありたい日を作ろうと思ってわかったけれど、
みんなが各自自由にたのしそうに過ごしているのが見れたことがとにかく良かった。
みんな自由なのがすきだな
ありがとうございました。
ロサンゼルスクラブに僕のレテパシーズのフェスで犬丸二で出演させてもらって、
すごく好きな場所になってすぐに店長のカニくんに相談した。
なにをやるかも決まっていないけれど、なにかしたいとおもった
また来年とは言わず何かすぐやりたいなと思う。
イベントを組むこともすごく立派な表現であると今回確信した。
みんなも是非、イベントやってほしい。めちゃたのしい。押し付けではないです。
日常の中にすてきなことはたくさんあって、
ビルの反射やだれかが音楽を聴きながらあるいていること、
嫌なことがあっても、その後は良くなることしか本当にないということや、
いいことがあったら誰にこれを伝えたいかなと考えたり、
何もいい事がなくても今日も生きていられたなーと感じたり
誰かにとっての身近なわくわくの一つの選択を、企画することで一個作れる
勉強loverとしてはかなりアツい発見 精進します。
写真全然撮ってない(ほぼまったく撮っていない、無念)けど、
棚上ちゃんがいっぱい撮ってくれた
私の部屋みたいなぐちゃぐちゃな演奏中の写真
こういう小さい場所からこの日があったと思えるよ〜
皆さま本当にありがとうございました。
またやりましょう
コメント